2011年6月28日火曜日

法令に書いてあれば必然的に行われます

昨日 衆議院第二会館内に厚生労働省老健局介護保険課課長補佐を招いて 改正介護保険法の概要についてレクチャーを受けました。
説明終了後 改正法の第70条の第7項および第8項に追加された以下の条文の真意について質問しました。
「7 市町村長は、…定期巡回・随時対応型訪問介護看護等の事業を行う者…が当該市町村の区域にある場合…、次の各号のいずれかに該当すると認めるときは、都道府県知事に対し訪問介護、通所介護その他の…居宅サービス…に係る…指定について、…当該市町村が定める市町村介護保険事業計画…において定める当該市町村又は当該定期巡回・随時対応型訪問介護看護等事業所の所在地を含む区域(筆者注:日常生活圏域)における定期巡回・随時対応型訪問介護看護等の見込量を確保するため必要な協議を求めることができる。この場合において、当該都道府県知事は、その求めに応じなければならない。
 一 当該市町村又は当該日常生活圏域における居宅サービス…の種類ごとの量が、当該市町村が定める市町村介護保険事業計画において定める当該市町村又は当該日常生活圏域における当該居宅サービスの種類ごとの見込量に既に達しているか、又は第一項の申請に係る事業者の指定によってこれを超えることになるとき
 二 その他当該市町村介護保険事業計画の達成に支障を生ずるおそれがあるとき
8 都道府県知事は、前項の規定による協議の結果に基づき、当該協議を求めた市町村長の管轄する区域に所在する事業所が行う居宅サービスにつき第一項の申請があった場合において、…指定をしないこととし、又は…指定を行うに当たって、定期巡回・随時対応型訪問介護看護等の事業の適正な運営を確保するために必要と認める条件を付することができる。」
つまり 定期巡回・随時対応型訪問介護看護などの地域密着サービスが増えることによって介護保険事業計画の見込み量を超えるなどするときは 市町村は居宅サービスの指定を拒否するよう都道府県に求めることができるというものです。
これは「『事業者の参入の自由』と『利用者の選択の自由』という介護保険法の根本理念を大転換する改正ではないか」と聞いてみたのです。
回答は「新サービス(定期巡回・随時対応型訪問介護看護)の促進・拡充策で『居宅サービスの総量規制』を意図したものではない」というものでした。
しかし 法令というものは その起案者の意図にかかわず「書いてないこと(を行うこと)は認められるが(「…してはならないない」など)書いてあること(禁止や規制されていること)は行えない」のが大原則。
ましてや「…できる」とあれば 当然行われるものです。
であれば「法令に従って」居宅サービスの総量規制は行われるのが必然です。

2011年6月24日金曜日

企業・組織は志を遂げる手段

6月23日付けの日本経済新聞(集中講義「企業を考える」)で 三品和広神戸大学教授が「生え抜き経営者(最初から企業に所属して役員になった経営者)と創業期の企業家とは決定的に特性が異なっている」と述べています。
「創業期の企業家たちは 事業を推進するための手段として企業を位置付ける。それに対して 生え抜きの経営者たちは 企業を維持するための手段として事業を位置付ける。この主従逆転に伴って 経営戦略論が勃興することになったのである」と 経営管理論に代わって経営戦略論が隆盛を極めた理由を挙げています。
この主従逆転=目的の手段化は 経営者にとって厳に戒めなければならない落とし穴です。
創業経営者であっても 立ち上げの「志」(理念やミッション)を見失うと 同じ陥穽に陥ります。
氏は「企業が経営戦略の必要性を感じること自体 苦悩の表れに他ならない。往々にしてエンタープライズ(大企業)がゆっくり衰退の道を歩むのも 必然の結末と受けとめるべきなのであろう。これも規模の不経済の一つである」と続けています。
目的を忘れ事業規模拡大に走ったり 見せかけの経営論で社内外 果ては自らまでをごまかそうとするときに 崩壊がはじまるのです。

2011年6月14日火曜日

18時間で改正介護保険法案が審議できるのか

介護保険法改正法案は 5月27日衆議院で可決され 6月7日に参議院厚生労働委員会で審議入りしました。
衆議院では 実質3日10時間 参議院では9日と本日の2回で8時間の質疑で採決されました。
わずかな時間で衆議院厚生労働委員会会議録にすべてに目を通すことができました。
しかもそのうちには今回の東日本大震災にかかわる議論も多く含まれています。
ご承知のとおり 衆議院では社会医療法人の特別養護老人ホーム参入を認める項目の削除を求める修正案が可決されましたが 量・質とも納得できる質疑とは思えませんでした。
またたとえば「介護予防・日常生活支援総合事業」について これを導入した市町村において「予防給付を受けていた要支援者が予防給付を受けながら総合事業のサービスを利用することは可能である」との大塚耕平厚生労働副大臣の答弁が引き出されました。
この問題の根底には この「介護予防・日常生活支援総合事業」の導入の意図は 介護保険からの軽度者外しではないかとという疑念があります。
政府答弁は「そうではなくサービスの充実にある」ということに終始しています。
であるならば「拡大する給付の効率化はどこで担保するのか」という新たな疑念が生まれます。
一方 参議院では「要支援認定者本人の意向と市区町村の判断が異なる場合は権利を行使できるのか」との質問には 岡本充功政務官が「権利はあるがどのようなサービスを受けるかはシステム上 市区町村が決定する」と答えています。
給付削減を 体よく保険者に押し付けるだけではないかといわれても仕方がありません。
こんな審議で納得できる改正法といえるのでしょうか。

2011年6月8日水曜日

あたりまえのことを行うプロが足りない

少なからず 知人からご家族の介護に関して相談を受けることがあります。
また そう多くはありませんが 一般の方向けの講演を行うこともあります。
介護に関する情報は この10年で飛躍的に伝わるようになり「ケアマネ」や「特養」といった言葉も注釈なしで使えるようになりました。
けれども 当事者となった家族の悩みが少なくなったかといえば そうは感じられません。
原因はいくつか考えられますが ひとつには介護保険制度発足時に比べ 職員数は2.4倍増 実数にして134万人を超えているにもかかわらず ケアマネジャーを筆頭とする介護職が適切な相談窓口として機能していないことが挙げられます。
急な病を得た親が入院したため 退院後のケアをどうしようかと悩んだ子どもは まず病院の医師やソーシャルワーカーに相談するのが一般的でしょう。
ところが 治療については説明できても「生活」についてアドバイスできる医療職は残念ながら多くはありません。
看護師にアドバイスを求めると「医師の指示かケアマネのプランがないと動けない」と答えます。
ではいいケアマネはどこにいるのか?
またそのケアマネが予後を見越したアドバイスをしてくれるのか?
そういったところで途方に暮れている人たちが私に相談に来ることになります。
ケアマネだけでなく介護職員や看護師にとっても相談業務は重要な役割です。
たとえ今すぐサービスを使う状況になかったとしても「いつでも相談してください」だけでなく 悩む家族を勇気づける「こちらからご様子をうかがいに行きますよ」など一歩踏み込んだ言動が必要です。
専門家としては「イロハのイ」ですが それがいつでもあたりまえに行えるようになるには 不断の研鑽が必要です。
「あたりまえのことをあたりまえに行える」のが本当のプロです。

2011年6月3日金曜日

正直者がバカを見ない改革を

昨日 内閣不信任案の採決をめぐる茶番劇の陰で「社会保障改革に関する集中検討会議」の社会保障改革原案が公表されました。
遅まきながら 年金・医療・介護・子育ての一体改革が途に就いたことになります。
詳しい論評は 会員向けレポ-トや別の媒体で行いますが「『正直者がバカを見る』仕組みにだけは設計してほしくない」というのが偽らざる感想です。
これだけでピンときた方も多いと思いますが サラリーマンの妻を対象とした「運用3号」問題についてです。
厚生年金に加入しているサラリーマンの夫が退職した場合 扶養されていた妻は 国民年金の第3号被保険者から国民年金の第1号被保険者への変更手続きをし 国民年金保険料をも納めなければなりません。
ところが この手続きを市町村の窓口ですることを忘れていた人に対し 厚生労働省は第3号被保険者のまま取り扱うという事務取扱いを示しました。
これによって 真面目に法令上の届出義務を果たしてきた人や法令に従って記録を訂正して無年金・低年金となった人々は何ら救済されず 故意・過失あるいは無関心・不作為によって届出義務を果たさなかった人間だけが救われるという奇妙な状況が生まれたのです。
この運用は 前厚生労働大臣が指示したということなのですが 誰がなんと言おうと理不尽です。
今必要なのは 大向こう受けするパフォーマンス(施策)ではありません。
前に進んでいくためには避けられない痛み(負担)を伴う改革が不可欠ならば 為政者はそれを明らかにし 国民に信を問うべきときなのです。