2015年4月21日火曜日

私たちの根っこにあるもの

先週末 ゆき(大熊由紀子)さんの「えにしを結ぶ会」で 社会福祉法人新生会の石原美智子・名誉理事長とお話しする機会がありました。その折 執筆されている『厚生福祉』(時事通信社)の巻頭言をいただきました。

「5歳の誕生日」というタイトルで ニュージーランドでは小学校の入学が5歳の誕生日だという事実を視察で知った という内容です。ニュージーランドの教育システムは 子どもの理解度によって飛び級があったり 得意な学科を選んで学ぶことができるといいます。
このシステムを有効に機能させるためには 学校の教員の力量が問われるだけでなく 子どもや家庭にも自分の人生は自分で責任を持つという「自立」が欠かせない と石原さんは述べています。

市民協(認定NPO市民福祉団体全国協議会)の専務理事の田中尚輝さんは ブログ(「民主主義と福祉」4/8)で フランスの政治学者トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』から 次のように引用しています。

「合衆国の住民は 人生の禍や悩みと戦うのに自分自身しか頼りにならぬことを生まれたときから学ぶ。社会的権威には疑い深い不安げな視線しかやらず どうしても必要な場合以外その力に訴えない。…同様の精神は社会生活のあらゆる行動に見だされる。公道に障害ができ 通行が遮断され 交通が止まったとする。住民はすぐに集まって相談し この臨時の合議体か執行権ができて 災害を復旧してしまうであろう。関係者が集まる以前から存在する なんらかの機関に頼ることを誰かが思いつくのはその後である」
田中さんは「なんという健全な民主主義をアメリカは持っていたのだろうか。いまのアメリカは 健康保険に入っていなくて困っている人を前において『君はまじめにはたらかなからこうなるのだ』という人が国民の半数入るのだ(オバマケア)」と記しています。

どちらも 福祉や介護というフィールドから 私たち日本国民のアイデンティティを真正面から問いかけています。

2015年4月8日水曜日

誰かの支えになろうとする人こそ 一番 支えを必要としています

私が参加している 医療関係者が中心のメーリングリストに ある在宅医から 次のような内容の投稿がありました。

ホスピス病棟に赴任していたころの経験。希望と現実の大きなギャップが 患者に怒りを生み出すことがある。
その矛先が 医療者である自分に向けられ「この本には病気が治ると書いてあるのに どんどん具合が悪くなるのは 先生 あなたがいけない」などと言われる。
少しでも力になりたいと思い 緩和医療・心理学・哲学・宗教など様々な勉強をするが ある患者の前では まったく歯が立たない。逃げ出したい思いになり その患者の部屋に入ることがなかなかできない。夕方遅く 勇気を出して行っても 返り討ちにあい とぼとぼ帰ってくる
そんな日々があったそうです。

「誰かの支えになりたい…誰かの支えになりたい…そう思う私こそ 一番 支えを必要としていると学びました」
「本当の力は 自分の弱さ・無力を認める力だと思います。力になりたいと思う関係は 相手と上下の関係です。…自分の弱さを認めるとき どんなに困難な患者さん・家族でも逃げないで最期まで関わる本当の力につながることができると思います」
 と書かれていました。

心に沁み入る言葉でした。
思い出したのが マサチューセッツ工科大学(MIT)のオットー・シャーマーの著書『U理論入門』に記述してあった 以下のようなエピソードです。

「ドイツのある農村地域で 医師のネットワークによるプロジェクトが行われていた。そのネットワークが 患者・医師間でダイアログ(対話)フオーラムを行った。 
当初 患者と医師たちは うわべだけの議論や言い合いを行っていた。
ところが ある女性の「あなたがたのことがとても心配です。私たちのシステムが あなたや私たちの最高のお医者様を殺してしまうなんていやです。何かお役に立てることはないのでしょうか」という問いが医師と患者の会話パターンを一変させた。
人々は バラバラの個人として議論する一方だった通常の状態を越え お互いの関係性の構造を変化させていった」
という内容です(ちなにみ このネットワークは年中無休の医師ホットライン体制を採用し 低コストで高品質の救急サービスを提供する新しい救急コントロールセンターを設立することになったそうです)。

複雑さを増していく世界。私たちが生きていく道は 二項対立の囚われから解き放たれるところにあるのだと思います。