2011年11月30日水曜日

なぜ放言・失言を正せないのか

沖縄防衛局長が米軍普天間基地の移設問題に絡んだ不適切な発言によって更迭されたことが大きな波紋を呼んでいます。
非公式な場といえ 責任を負った者が口にしていいはずの表現ではありません。根底にある価値観や倫理観を疑わざるを得ません。
しかし公式な会合の場でも 思わず耳を疑う発言に遭遇することも少なくありません。
10月17日に開催された第82回社会保障審議会介護給付費分科会で 看護職員による居宅療養管理指導が「現状では非常に算定要件が厳しいので要件を見直す」よう看護団体の委員が発言しました。
これに対して医療団体の委員が「これ以上に(看護職員の居宅療養管理指導算定要件を)緩和をするというのはどういうことかわからない。医師の指示にも関係がなく看護職が勝手に行くことにしてもらいたいのか」と切り返しました。
さらに 次の第83回介護給付費分科会でも 通所介護の機能訓練指導員の多くが看護職員であることにに関連して 別の医療団体の委員が「(通所の機能訓練では)医師の指示なしに看護師が野放図にリハを行っている」と発言しました。
これらは看護職員や看護の意義やプライドを踏みにじるものだと糾弾されてもしかたがないと思われますが どこからもそのような声は上がっていません。
看護団体自身が 発言内容を肯定しているのか 反論ができない構造になっているのか あるいは感覚がマヒしているのか のいずれかになります。
ここから改善していかなければ 看護の専門性や地位 ひいては医療と看護そして介護の連携・連帯などは夢物語でしかないでしょ。

2011年11月18日金曜日

国民からかけ離れた官のあきれた指導

鳴り物入りでスタートした「サービス付き高齢者向け住宅」の登録が始まって1月を過ぎました。
国土交通省と厚生労働省が縦割りを越えて共同で所管し 地域包括ケアシステムの基礎となる「住まい」を充実させるという期待を担っているはずですが 事業者には青天の霹靂ともいうべき事態が広がりつつあります。
共有面積について なんとも不可思議な基準が多くの自治体で設定されているのです。
「国土交通省・厚生労働省関係高齢者の居住の安定確保に関する法律施行規則」(平成23年8月12日厚生労働省令・国土交通省令第2号)では 第8条(規模の基準)において「法第7条第1項第1号の国土交通省令・厚生労働省令で定める規模は、各居住部分が床面積25㎡(居間、食堂、台所その他の居住の用に供する部分が高齢者が共同して利用するため十分な面積を有する場合にあっては、18㎡)とする」とされています。
台所や風呂を共有設備として確保すれば 居室面積は18㎡でOKという要介護者を対象とした場合には合理的な基準が示されています。
ところが多数の自治体が 25㎡に満たない居室面積とした場合 25㎡から減らした面積に居室数を乗じた面積を共有面積として確保せよ という基準を設けているのです。
たとえば 18㎡の部屋を30室作った場合には(25-18)×30=210㎡もの共有部分が必要になるわけです。
理不尽極まりないというしかありません。
この原因は 10月7日に発出された「高齢者の居住の安定確保に関する法律等の一部を改正する法律の施行について」という通知に「サービス付き高齢者向け住宅の各居住部分の床面積の基準を25㎡以下に緩和する場合には、食堂、台所等の共同利用部分の面積の合計が、各専用部分の床面積と25 ㎡の差の合計を上回ることを基本的な考え方とすることが考えられる」という文言があるためです。
国に言わせれば「判断は自治体に委ねている」ということですが 自治体は「国の判断に従っただけ」と主張しています。
責任の擦り付け合いをするのではなく なぜ利用者=国民本位に考えられないのかと 憤りを感じざるを得ません。

2011年11月11日金曜日

制度や組織の壁を乗り越える力

昨日 仙台市の「仙台フィンランド健康福祉センター」で「2025年の介護はこうなる!?地域包括ケアがめざすもの」というタイトルで講演を行いました。
同センターは 財団法人仙台市産業振興事業団の運営する研究開発館と社会福祉法人東北福祉会が運営する特別養護老人ホームせんだんの館がコラボレートしたユニークなプロジェクトです。
同一敷地に 国でいえば経済産業省管轄の組織と厚生労働省管轄の組織が仲良く協働して研究開発や事業を行っています。
閉塞感が充満している日本ですが このような試みこそが 高齢社会のトップランナーというポジションを奇貨として 夢のある世界の範となる社会を創造する原動力だと感じました。
講演参加者も 医師や介護事業者だけでなく 生活支援サービスや商品を提供しているベンチャースピリットあふれる方々が多く 楽しいひと時でした。
このような人たちの 介護保険や制度ビジネスという枠を超えた発想やアニマル‐スピリットが 本当の意味での「地域包括」を支えていくのだと実感させてもらいました。