2012年2月15日水曜日

「産業」という言葉さえ嫌悪される旧弊

政府の「新成長戦略」以来 医療や介護の「産業化」についてさまざまな議論が交わされています。
医療・介護が「『成長』産業足り得るか」については 賛否両論があることも理解できますが「産業か否か」についてはいうまでもないところです。
ところがTPPへの参加問題に絡めて「医療の産業化を許してはならない」的な論調が目立ってきているように思えます。
混合診療を進めるべきか否かについての議論は 簡単には決着がつくものではないでしょうが 医療が「産業であってはならない」という極論は 市場一辺倒の「原理主義」となんら変わりがないでしょう。
「皆保険下の現状から何らかの変化の先を意図して『医療の産業化』という言葉が使われ それが医療を市場に乗せる方向への変化を意味するのであれば支持しない」(平成23・24年度医療政策会議報告書)という立場の権丈善一慶應義塾大学商学部教授も「とはいえ…医療の平等消費社会を維持するために国家財政の持続可能生を犠牲にしなければならない場合には…消極的に受け容れざるを得ない状況になることはある…今の日本の財政状況の下 皆保険を堅持していくための安定財源を確保する見通しが立たないのであれば…診療報酬の引き上げも期待してはいけないと思う。…公共政策を論じる際には負担と給付をセットにして論じるしか方法はない」と述べています。
医療や介護の世界の「聖域」意識は 前向きな議論を阻む最大の壁としていまだに存在しています。

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